日本絶望宣言

希望と絶望のパラドクス

2011-11-27

いまあらためて、斜陽 ――橋下は二度死ぬ

橋下前府知事と平松市長の一騎打ちである。日本の民主主義の未来を占う大切な選挙だ。この国が、未来を選ぶのか。それとも、既得権益を選ぶのか。決めるのは大阪市200万の有権者たち。60万人が65歳以上。残り150万人がそれ以下である。


そんないまあらためて、斜陽をおもう。

世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私は、その十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。
 おわかりになりまして?
太宰治『斜陽』

『斜陽』初版入稿は、昭和25年11月20日のことだった。翌26年(1951)の大阪市長選挙は、大阪市の歴史上最高の投票率の71%を記録している。前回の選挙から20ポイントも向上して。

斜陽は沈みゆく太陽―斜陽族の、滅びの中の、絶望の先にある“生きる”輝きをありありと描いた。戦後没落貴族が当主をなくし、母親は病に斃れ、戦場から帰還した弟は麻薬中毒果てに自殺。「かず子」は不倫の子を腹に宿し強く生きる決意を手紙にしたためる・・・。


そんな斜陽にいま、想う。


この日ノ本のクニで、日は沈みゆく。もう、太陽の形はみえず朱く染まる光の残香が、これから訪れる昏く寒い夜を予感させる。消え行く光の最後の残光であることを、もはや絶望の縁にあることを気づかなければ、この国の明日はない。


その意味では、橋下が負けることは、良いことかもしれない。もし、本日橋下の敗北宣言が出るとすれば、それはこの国の若きエリートたちへの最後通牒だ。老人たちがその席を譲らないということを私たちに突きつける。

いい加減、橋下など負ければよいのだ。この国はもうどうにも立ちゆかない事を識れば、消え行く光の儚さを知るだろう。

キリストは福音を述べ、宣教師たちはエヴァンゲリヲンを触れてまわった。橋下よ、禍音のメシアとなれ。あなたの受難と政治的な死は、1000年に亘り人々の蒙を啓くだろう。平松の樹に磔に処される様を、わたしたちは忘れない。