日本絶望宣言

希望と絶望のパラドクス

楽園喪失:Paradise Lost


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「一敗地に塗れたからといって、それがどうしたというのだ? すべてが失われたわけではない」イギリス文学の最高峰、John Miltonによる「失楽園」の一節である。かつては神にめでられた大天使、今は反逆の咎ゆえに暗黒の淵におとされたサタンは、麾下の堕天使の軍勢にむかってこう叱咤激励する。


我々はサタンに誘惑され、知恵の実を食べて楽園を追放された。しかしそうして初めて、ヒトになった。楽園で飼育される、神の愛玩動物から、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ存在へと変容した。はずであった。


現代の日本は、蘇った楽園である。食べたはずの知恵の実は奪われ、代わりに知恵の実をロゴにあしらった携帯が氾濫している。いまこそこの楽園という名の家畜小屋から脱出しなくてはならない。なぜなら、楽園は既に崩壊しているからだ。老い先短い老人たちだけが、楽園の崩壊を延命しようとしている。自分達が死んで、逃げきる事ができるまでは、と。


老人たちは、焼け野原から確かに、この地上に楽園を創った。しかしその過程で知恵の実こそを喪失した。時折訪れるサタンは、司法やメディアが結託し焼殺していった。彼らも「知性の叛乱」を起こしサタンになろうとしたありし日があったはずなのに。 叛乱は鎮圧され、ITバブル時代の寵児は徹底抗戦するも収監。サタン不在の、つまりは知恵が不在の楽園に、そして落日が訪れる。

この国に、知恵の実を与えてくれるサタンが居ないならば、人がヒトであるために、僕がぼくであるために、わたしたち自身がサタンになるよりない。


ダンテは「神曲」の中で地獄への入口の門にこう書いた。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と。楽園を出て、サタンとなり、地獄の門を開くには、一切の希望を捨てるよりない。もはや、絶望しかない。


太古、絶望の味を知って、人がサピエンスになったように、この国でいま必要なのは絶望という名の知恵の実だ。一人でも多くのヒトが、知恵の実を、絶望を配れる存在になること。それだけが逆説的ではあるけれども、残されし希望だ。


楽園の中で、希望があると信じるのではない、自ら壊れかけた楽園を捨て絶望を知り、自分自身で希望を創るという気概が必要なのだ。

若者よ、未来のサタンよ動け。楽園はもう、喪われたのだ。おまえたちが産まれたときには、あらかじめ喪われていたのだ。

もしも何かを変えたいならば、自ら知恵の実を口にせよ。正しく絶望を味わえ。待っていたって人生の時間を浪費するだけで、誰かが楽園を修復してくれることはない。神は既に、死んだのだから。


自分が立ち上がることができないならば、せめてあなたの絶望の声を聴かせて欲しい。あなたの諦めを報せて欲しい。その絶望の種こそは、未来のサタンを育てるだろう。